吉水神社

吉水神社入口

奈良県吉野郡吉野町にある「吉水神社」は、今からおよそ1300年前に、役行者が創立したとされている神社です。

元は吉水院という金峯山寺の僧坊でしたが、明治時代の神仏分離令により、吉水院から吉水神社と改められました。

吉水神社は2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして世界遺産に登録され、書院は重要文化財に指定されています。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

境内の様子

吉水神社の境内

境内はあまり大きくはありませんが、歴史上の有名人物と関わってきたとされる神社で、興味深いものがあります。

後醍醐天皇が吉水院を南朝の皇居としたことをはじめ、源義経が兄の源頼朝に追われて潜伏した場所、豊臣秀吉が花見の宴をした際に、吉水院を本陣としたエピソードがあります。

一目千本
桜の観賞スポット

拝観した時は冬山でしたが、境内の門をくぐって右手に「一目千本」と書かれた立札があり、桜の季節に吉野の山桜を一望できるようです。

本殿
本殿

吉水神社の御祭神は後醍醐天皇で、天皇の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を合祀しています。

源義経潜居の間

P1040168
源義経潜居の間

源義経潜居の間は、源義経が兄の頼朝に追われた時に、静御前・弁慶と共に5日間身を隠して、再起をはかったという部屋です。

その後、義経と弁慶は山伏に変装して、女人禁制の大峰山を目指したそうですが、静御前は一緒に行けなかったため、最後に一緒に過ごして別れた場所という悲しいエピソードがあります。

後醍醐天皇玉座の間

御醍醐天皇玉座の間
御醍醐天皇玉座の間

1336年に後醍醐天皇は、京の花山院からひそかに吉野へ行幸したときに、吉水院宗信法印が僧兵を従えて吉水院へお迎えし、天皇が吉水院を南朝の皇居としました。

後に秀吉によって修繕された後醍醐天皇玉座の間は、上段の間が五畳、下段が十畳で構成されていて、桃山時代の特徴を残している書院です。

狩野永徳作の障壁画

部屋は立ち入り禁止ですが、通路から狩野永徳作の障壁画、狩野山雪作の屏風を見ることができます。

たくさんの展示品

金屏風「桜の図」
金屏風「竹の国」

1594年に秀吉が吉水院を本陣として盛大な花見の宴を催し、吉水院に数日間滞在したということもあったそうです。

秀吉が愛用した金屏風として、狩野永徳作の「桜の図」、狩野山雪作の「竹の国」が展示されていました。

襖絵「群鶴」
襖絵「鷹」

狩野山雪作の「群鶴」や「鷹」などの襖絵も見ることができます。

義経の鎧
能面

書院には、重要文化財に指定されている義経の鎧をはじめ、静御前の鎧、弁慶の小手、室町・桃山時代の能面、書状など展示品がたくさんありました。

役行者

奥の部屋には、吉水神社を創立したとされる、役行者が祀られていました。

施設情報

吉水神社の公式サイト
住所
〒639-3115
奈良県吉野郡吉野町吉野山579
アクセス(電車)
近鉄線「吉野」で下車→吉野山ロープウェイ「吉野山」で下車→徒歩20分
拝観時間
9:00~17:00

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
レクタングル(大)広告

シェアする