今帰仁城跡

今帰仁村グスク交流センター

沖縄県国頭郡今帰仁村にある「今帰仁(なきじん)城跡」は、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録された、やんばるを代表する観光スポットです。

今帰仁城跡の観覧料金は、大人が400円、小中高生が300円、小学生未満は無料です。

今帰仁村グスク交流センター内

今帰仁城跡の入場券売り場は、みやげ屋や屋台が並んでいる今帰仁村グスク交流センター内にあります。

ガイドを希望する場合は、入場券売り場で当日に(予約した場合は有料)申し込めば、常駐しているボランティアガイドの方が、所要時間1時間ぐらいで無料案内してくれるそうです。

今帰仁村グスク交流センターの開館時間は8時からで、付近には無料の専用駐車場があります。

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今帰仁城の歴史

今帰仁城跡の城壁

今帰仁城の歴史は、13世紀末に土地の有力者がグスクを構えたことからはじまり、沖縄本島が北山・中山・南山の三つの勢力に分かれていた三山時代には、北山の拠点となった城でした。

北山は文献や陶磁器の出土品などから、中国と貿易をしていたことがわかっており、14世紀後半から15世紀前期にかけて最も栄えますが、1416年(1422年説もある)に中山によって攻め滅ぼされます。

中山は北山地域を統治するために、今帰仁城を監守の居城として利用し、その後は中山が三山を統一して琉球王国となりますが、1609年に薩摩軍が琉球征伐をした際に、今帰仁城は落城し炎上したとされています。

グスクのルーツは、防御集落説や聖域説などの諸説があり論争中のようですが、一般的に城という字が当てられています。

今帰仁城跡の見所

外郭

外郭

今帰仁城跡の史跡は、どこの写真を撮っても絵になるような素晴らしい風景が広がっています。

今帰仁城跡を取り囲む城壁は、石灰岩が3mぐらいの高さにきれいに積み上げられたもので、曲線が美しいのが特徴です。

アンモナイトの化石

城壁の石材は、今帰仁層からとれる中生代の古い石灰岩が使われていて、今帰仁村周辺の地層からは44種類のアンモナイトの化石が見つかっているそうです。

平郎門

平郎門
兵郎門の狭間

平郎門は本門にあたり、1962年に琉球政府により修復されたものです。

平郎門の左右には、外を見張るために狭間と四角い穴が設けられ、天井部分は一枚岩が使われています。

七五三の階段

石階段

平郎門から続く石階段は1960年代に整備されたもので、段数が3・5・7段になっていることから、七五三の階段と呼ばれています。

本来の旧道は、城内に向かって七五三の階段の右手にあり、敵に攻められた際に時間を稼いで大勢の兵が通れないように、道幅を狭くする工夫がされています。

志慶真乙樽の歌碑

志慶真乙樽の歌碑

平郎門から城内に向かって歩いていく途中で、志慶真乙樽の歌碑がありました。

「今帰仁の城 しもなりの九年母 志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい」

志慶真ムラの集落に住んでいた乙樽は美女と評判で、ウワサが広まって北山王の側室として召し抱えられますが、当時の王は高齢で世継ぎがいなかったため、王妃と乙樽は子を授かることを願っていました。

やがて王妃が待望の子を授かり、男の子が生まれたことを、季節はずれのみかんが実ったことに例え、子供をかわいがる乙樽の様子をたたえた歌が書かれています。

御内原

御内原

御内原(ウーチバル)は、かつて女官が生活していた場所と伝えられています。

御内原の一角には、テンチジアマチジという低い石垣で囲まれた御嶽(うたき)があり、今帰仁グスクの守護神として崇められた最も神聖な拝所でした。

御嶽とは、琉球の信仰における聖域の総称です。

御内原から見た景色

今帰仁城跡を訪れたのは7月だったので、太陽が照りつける中を御内原まであがってくるのは少し大変でしたが、御内原は海や山林、大隅を見渡せる絶景スポットで、風通しが良く気持ちのいい場所でした。

大隅

大隅

大隅(ウーシミ)は、馬を養ったり城兵を訓練した場所で、所々に石灰岩の岩盤が露出していて起伏に富んだ地形です。

また、大隅にある洞窟は、かつて城外へ出る抜け穴として利用されたと伝えられています。

大庭

大庭

大庭(ウーミャ)は、政治や宗教的儀式などが行われていた広場で、建物の礎石が残っており、主郭、北殿、南殿があったと考えられている場所です。

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大庭の北西にはソイツギという御嶽があり、テンチジアマチジと共に祭祀場として拝まれた場所です。

火神の祠

主郭は本丸の役割をもつ城の中心的な建物で、現在の跡地には、火之神の祠(ヒヌカンのほこら)や山北今帰仁城監守来歴碑記があります。

志慶真門郭

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志慶真門郭への道

志慶真門郭(シジマジョウカク)は、城主に仕えた人々が住んでいたとされる場所で、志慶真川がつくる渓谷を利用して築かれています。

1981年から発掘調査が実施されて、4つの建物跡と陶磁器や装飾品などが発掘され、建物跡は瓦が出土しないことから、掘立柱の建物だったと考えられています。

志慶真門郭は、大庭や御内原より標高がやや低くてゆるやかな傾斜があり、背景の海と高原のような草原が印象に残る眺めでした。

今帰仁村歴史文化センター

今帰仁村歴史文化センター

今帰仁村歴史文化センターには、今帰仁城跡から発掘された陶磁器や、国宝に指定されている千代金丸という刀の複製、集落で使われた生活道具などが展示されていて、今帰仁城跡の入場券で観覧することができます。

千代金丸は北山王が所持していた宝刀で、中山に今帰仁城を攻め滅ぼされた北山王は、千代金丸で自害しようとしますが切ることができず志慶真川に投げ捨てられ、のちに伊平屋島の住人に拾われて、中山王に献上されたと伝えられています。

基本情報

今帰仁城跡の公式サイト
住所
〒905-0428
沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5110番地
アクセス(電車・バス)
やんばる急行バス「今帰仁城跡入口」で下車→徒歩約15分
駐車場(普通車)
収容台数320台 無料
定休日
年中無休

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